2009年8月28日金曜日

8/28 Today 大伴家持が死ぬ(785)

大伴家持 - Wikipedia: "大伴 家持(おおとも の やかもち、養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代の政治家、歌人。三十六歌仙の一人。大納言大伴安麻呂の孫。大納言大伴旅人の子。従三位・中納言。

長歌・短歌など合計473首が『万葉集』に収められており、『万葉集』全体の1割を超えている。このことから家持が『万葉集』の編纂に拘わったと考えられている。『万葉集』卷十七~二十は、私家集の観もある。『万葉集』の最後は、天平宝字3年(759年)正月の「新しき年の始の初春の 今日降る雪のいや重け吉事(よごと)」(卷二十-4516)である。

延暦2年(783年)、中納言に昇進するが兼任していた陸奥按察使持節征東将軍の職務のために陸奥に滞在中に没した。"
家持が編集した「万葉集」抜きでは日本文化は語れない。それほど偉大な業績を残した。しかし晩年は不遇であった。

天平宝字3年正月の家持最後の歌「新しき年の始めの初春の……」以降、家持は歌を詠まぬ人となった。死ぬまで実に22年間、歌を詠んでいない。どういう心境だったのだろうか。

名門大伴家の家長として台頭する新興勢力藤原家との抗争に明け暮れ、最後はそれに敗れたと見るのが一般的な見方。家持にとっては、政治は芸術よりも大切だったのである。家持はとても真面目な人だったのだと思う。

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